10/16/2007
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アーティストバイオグラフィー
Stanley DonwoodはRadioheadとのコラボレーションで特に知られており、1994年に「My Iron Lung」のアートワークを手掛けて以来、バンドの全アルバム&シングルのアートワークを担当。

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Sntings.1994年以来、Radioheadの「The Bends (1995)」、「OK Computer (1997)」、「Kid A (2000)」、「Amnesiac (2001)」、「Hail To The Thief (2003)」を始め、その他すべてのシングル、ポスター、ウェブサイト、および商品のアートワークを制作している。

Stanleyのキャリアは1992年にプリマスにて行われた「Stanley Donwood Outdoor Gallery」という展示から始まっている。警備員の習慣と時刻表を研究し、不要のビルに大々的なアートを描く演出に成功した。

1995年には「Binge」というウェブサイトをデザインし、それが今にあたる「Slowly Downward Manufactory(www.slowlydownward.com)」の原点となった。スタンリーのインターネットへの関心は、1997年に世界初のサイバー会議「DIGITAL CHAOS」をプロデュースするという形で表現されたが、この経験で疲れ果てたスタンリーは「インターネットの企画は二度としない」と誓ったという。

1999年にブリストルのWatershedメディアセンターにて、「NO DATA展」を開催。展示用の作品は一切なく、奇妙で長いアンケートとテレビのモニターに同じレベルで奇妙な文章がテレビのモニターに映し出されるという斬新なスタイルだった。
同年に「Small Thoughts」と名付けられたショートストーリーが円形のカードに印刷され、スズで作られたケースと共に発行された。

2001年には「Slowly Downward; A collection of Miserable Stories」が発行され、2002年には2番目の本となる「Catacombs of Terror! 」を発表。銃とドラッグと豚がフィーチャーされている(本人曰く)くだらない探偵小説を書く。 この小説は、「1ヶ月以内では5万の単語を書くことなんてできないだろう」という£5の賭け がきっかけで発行されたというエピソードがある。

Dr Tchock と共に、2001年にはRadioheadの「Amnesiac Special Edition」でベストパッケージング・アートワークのグラミー賞を得る。 現在、この輝かしい象徴は彼のタオルコレクションの棚に並んでいるという。

2002年以降になると、グラストンベリー・フェスティバルのTシャツデザイン、マシュー・ハーバートのアクシデンタルレーベルのアルバムカバーデザインを手掛ける。同時に「Slowly Downward Manufactory」用のスクリーンプリントを制作し始める。

2006年にロンドン・ソーホーのグリーク・ストリートで、Steve Lazarides氏のギャラリーでStanley初の個展を開く(奇妙な形式をとったNO DATA展を含まない場合)。 この展示会は「LONDON VIEWS」と名付けられ、ThomYorkeのアルバム「Eraser」に使用した作品が飾られた。

2006年11月、バルセロナ・スペインで「DEAD CHILDREN PLAYING展」開き、過去10年間に渡って制作した大型絵画が展示される。

2007年6月、2番目の個展「IF YOU LIVED HERE YOU’D BE HOME BY NOW展」をLazaridesギャラリーで開き、エッチング、ウッドカットとペインティングの新作を公開する。

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phofa
幼少時代にインスパイアされた人・出来事はありましたか?
Stanley
幼少の頃、特になにかにインスパイアされたという記憶はありませんが、漫画本の絵を幾つも真似したり、コンピューターのロール紙に長く巨大な住宅を想像して描いたり、建築現場の脇に残されたレンガやセメントで家を造ったりしていました。

よく知っているアーティストがいたわけではありませんが、John Constableの画のジグソーパズルをしていたのをかすかに覚えています。後から、この画が”コーン畑”という題名であることを知ったのですが、Constableは今でも大好きですから、当時からなにか共鳴するものがあったのでしょうね。

もう少し大きくなった頃、両親がAktinson Grimshawの画のポスターをウールワースで買ってきて、それはいつも眺めていました。Grimshawは、私が知る限り、ロマンティックな月光のシーンをとても写実的に描写することに特化したビクトリア時代の画家です。
phofa
絵を描き始めたきっかけは?
Stanley
子供の頃は誰もが機会さえあれば絵を描きたくなるものだと思います。それと同じ基本的な本能だったというだけですね。子供が壁に落書きしたり、ノートにいたずら書きしたりするのと同じ衝動です。それ以上、特別なものでもユニークなものでもありませんでした。
phofa
アートに対しての定義や、芸術に関する哲学はお持ちですか
Stanley
それはおかしな質問だと思います。

私はアートに対しての定義はなにひとつ持っていません。
ある人が「これがアートだ」と言えば、どんなものでもアートに成りうるものだと考えていますから……。

私が今使っているコンピューターのデザインはアートでしょうか? おそらくこのデザイナーはそう答えると思います。
グラフィティは破壊行為や犯罪だとさえ言う人もいますが、私はこれもアートだと思っています。

つまり、私にアートに関する哲学があるとすれば「アートとは、可変的な概念であり、結局は個人にゆだねられている」ということです。

アートの哲学が画一的になると、政治によって絶対的な定義を押し付けられることにもなってしまいます。ナチスドイツはアートを退廃したものとそうでないものとに区別しました。彼らはそれが正しいと考えていましたが、彼らがしたことは、ある全く抽象的なものに全体主義的な概念をあてはめていたのです。

phofa
絵を描き続けることで得たファンタスティックな体験はありましたか?
なにか具体的なエピソードがありましたら教えてください。
Stanley
アートによって見知らぬ場所へ行けたり、アイデアを追求することによって、世界の新しい見方に気づかされたりします。
そして、自らの精神の深いところで生きることを可能にしてくれます。

目新しくて、とてもおかしな経験をしたことと言えば、私とDr Tchockの二人で山の頂上に登り、持ち込んだキャンパスにナイフと青のグラデーションだけを使って絵を描こうとした時のことです。
実際に頂上まで登ると、天候がかなり悪くなってきたのですが、それでも私たちは描き続け、気が付くと霧が周りに立ちこめ雨が激しく降ってきました。風の音もひどくなってきて、私たちがだいたい終了しようと決めた時には、すぐに下山しなくてはいけませんでした。濡れた絵の具のついた大きなキャンバスを抱えながら、冷たい岩を降りなければならなかったので、とても大変でしたよ(笑)。馬鹿げたことをしているのが恥ずかしく思えてきて、まずあり得ない状況だと思いますが、登山者に遭遇してしまった場合は反対の方向に走ることまで計画しました(笑)。
phofa
アート活動における最も大きい挑戦はなんでしたか?
Stanley
それは新しいことを始めるときです。常に感じていることですね。
phofa
あなたのアートワークを見ると、個人的かつ政治的な感情を謙虚とユーモアを交えて作品に表しているように感じます。
以前からこのようなスタイルだったのでしょうか? また、創造におけるテーマを必要としますか?
Stanley
テーマは必要です。
ただし、一つ一つの作品にはあまり信念を持っていません。
むしろ、イメージの連結のようなものがより効果的だと思っています。これは単純な繰り返しでもあり得るし、ある一つのテーマ上のバリエーションでもあり得ます。
これは、私の作品があまり良くないと内在的に感じていることの現れです。年をとるにつれて、表現することに確信を持てず、曖昧で、混乱を感じています。
おそらく、テーマを持つことで、この想いが少し和らぐのでしょうね。
phofa
あなたの作品はRadioheadのアートワークに採用されていますが、彼らの音楽に合わせた作品となっているのですか?
それともテーマレスに、自由な表現としている?
Stanley
そうですね……。音楽は、絵やアイデアがどうやって扱われるかについて重要な役割を果たしています。
作品を創っている間に音楽を聴いており、それが私の作品に影響を与えていると思います。
意識的ではなく、なにか曖昧なものですが。
おそらく、天候が私たちのムードに影響を与えるのと同じようなものです。天気の良い日は人々が笑い、雨は気分を憂鬱にさせるというように。
phofa
Thom Yorkeとの共同作業をするとき、役割分担はどうなっているのですか?
お互いのバランスはどう取りあっているのですか?
Stanley
その時々、プロジェクトによって、協力の体制は異なりますが、究極的には私たちはお互いに拒否権を持っています。
常にお互いがハッピーだと思うまで、または少なくともアンハッピーではないというところまで作業をします。
お互いにバランスをとりながら、うまい方法でお互いを否定し合っているのだと思います。
phofa
あなたの作品には「熊」「×」「スカル」などといった象徴的なアイコンが登場していますが、彼らは作品にとってどんな意味を持っていますか?
Stanley
そう。すべてのものに意味しているものがあります。
それぞれが描かれている様子に加え、テクニックや手段から概念や実際に表現されたものまでね。
ですが、解釈は観る人々にゆだねた方が良いでしょう。それを説明したり明らかにすることは私の仕事ではありません。
phofa
小説や短編集などの文学でも自己表現されていますが、(文字の入れ替えや暗号、アナグラムなどの言葉遊びも含め)あなたにとっての「文字」とは、描く芸術と同じくらい重要なことですか?
Stanley
重要ですね。アートから書くことに転換することがありますが、同じ時期に絵と文章の両方を手掛けることは滅多にありません。
phofa
あなたはBanksyと共に、Lazincギャラリーに所属されていると聞いています。
間接的ですが、協力的な雰囲気があると感じていて、その点について語って頂ければと思います。
Stanley
Mr Lazaridesのギャラリーで展示するアーティストについて私が気に入っているのは「誰も他の者について知らない」ということです。
私たちは皆、名前を伏せています。知らないうちに同じグループにいるということもあり得ますから。
phofa
東京のアート・クリエイティティブシーンに関する思いなどはありますか?
例えば、東京とロンドンのアート業界の違いとか?
Stanley
東京のアートシーンについて、実はあまり知らないのです。
東京には一度だけ行ったことがありますが、ほとんどの時間を高層ビルの写真を撮りながらフラフラして過ごし、それらが後に、Amnesiacのためのアートワークになりました。
もっとも、ロンドンのアートシーンについても、ほとんど知りませんが。私はアートについて、非常に無知だと思います。
phofa
世界の芸術家志望者、特に日本の若いアーティストへのアドバイスはありますか?
Stanley
目を見開いて、描き続けることです。
phofa
最後に、日本のファンの方々へ一言お願いします。
Stanley
東京をまた訪れて、展示をし、また新しい時間を過ごしたいと思っています。
また近いうちにお会いできますように。


絵本導入の記念イベント
Dead Children Playing: A Picture Book
By Stanley Donwood & Dr Tchock
ホース・ホスピタル、ロンドン
2007年10月17日




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