2007年9月2日
今秋も大注目!大巻伸嗣について話そう - その1 -

 このPhofa.netのブログでも活躍中の美術作家、大巻伸嗣君。まもなく開催される愛知県美術館の企画展『Cycle and Recycle』で彼の作品を体験できるのは嬉しい限りです。

 ここ数年の大巻伸嗣の作家としての飛躍には眼を見張るものがあります。数々のギャラリーでの個展、公募展での受賞、そして美術館企画への招待、さらに海外での発表とその活動の場を拡げつつ、どの発表でも観る者の心身を包み込んで刺激する、そして美しい空間づくりで驚かせてくれます。いったいこの表現のエネルギーはなんなのだろう? 次には何を見せてくれるのだろう? そしていったいどこへ進んでいくのだろう? 彼はそんな問いをいつも私に与えてくれるのです。

 大巻伸嗣と初めて会ったのは1998年、彼が私のギャラリーで初めて個展をするために、相談に来てくれたときでした。作品ファイルを見せてもらったり、制作の考え方を聞かせてもらいながら、まず感じたことは・・・この人は何を考えているのか、よくわからん・・・でした。たぶん、大巻君自身も、もどかしく感じていたでしょうが、その頃に彼が熱気とともに私に投げかけてくる言葉の数々は、私の頭の中でうまく像を結ぶことなく、まあ百聞は一見にしかず、とにかく個展を見せてもらおう、と。そして実際に始まった展覧会で私が観たものは・・・布やスポンジやゴムなどが紐でぐるぐる巻かれてまるで臓物のように見えるうねうねした物体。それは延々ととぎれることなく画廊の中にとぐろをまき、つみかさなり、こんがらかっていて、観客はその中に踏み込んでいかねばならないのです。確か全長数キロはあると彼は言っていましたが、そんなものが、色とりどりに、様々な質感、触感を伴って、よろよろと足もとがおぼつかない観客に迫ってきます。こ、これは何なんだ? 実際に作品に接しても「わからない」という感覚はおさまるどころか、より強くなるばかりです。
 いまから思えば、彼が表現しようとしていたものは、まさにこの「わからない」ということなのだろう、ということでした。自分であれ、他人であれ、なぜだかわからないが、確かに「存在している」ということ。なぜだかわからないが自分を、他者を、確かに「感じている」ということ。人間とはまさにそうなのだと思いますが、同時に人間は「わからないと生きていけない、ぜひわかりたい」と思う動物なので、いずれは人生の、生活の意味を見つけだして暮すようになる。しかしそういう意味付けには安心できない、いや、大いに疑いを感じる、ただ「生きている」ということだけが真実だ、ほんとうは何もわからないんじゃないのか? そう感じるのが、アーティストという人びとのなのでしょう。
 展覧会中のある日のこと、家族連れの観客が来場、兄弟らしき小学生低学年ぐらいの男の子どうしが、このうねうねにょろにょろをお互いに巻き付けあって遊びだしました。子供たちは次第に興奮状態となり、ついには泣き泣きのけんかになってしまいましたが、きっと彼らもなんでけんかになったのか、そもそもなんで面白かったのか、わからないでしょう・・・でも、忘れがたい体験になっただろうと思います。

 現在の彼の作品の洗練と比べれば、まだ荒削りで「実験」という言い方が相応しかったかもしれませんが、言葉も、モノも、私の理解しようとする心を混乱させてしまった大巻伸嗣のギャラリイK初の個展(1998年 題名『INSIDE OUT』)は、その後の作品世界の目覚ましい展開を予感させる出来事だった、そう思います。

(つづく)

※愛知県美術館『Cycle and Recycle』展の情報はこちら
http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/




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