2007年7月20日
越後妻有の夏  - あしたの国のお話 その2 -



それにしてもここ数年の新潟地方を襲う災害の数々、いったいどうしたことでしょう。大地震、記録的豪雪、集中豪雨、かと思うと雪が降らずにスキー場に大打撃、そしてまた大地震。被害にあわれている地元の方々のご苦労は、経験のない自分には想像を絶するものがあります。
 一方で近年私は全く別の理由で、新潟という地域に大いに関心を持っていました。それは過去3回にわたって行われたアート・イベント「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ」を体験し、非常な感銘を受けたことによるものです。

 “越後妻有”(えちごつまり)というのは十日町市(旧:十日町、川西町、松代町、松之山町、中里村)と津南町を含む地域の名前なのだそうで、長野県に近い信濃川流域、上越新幹線や関越自動車のラインからは峠をひとつ越えた一帯です。交通の大動脈からはずれていること、日本一の豪雪地帯であることなどから若年層がどんどん流出して過疎がひどく、地域の産業・文化をどうやって衰退から救い出すかが大きな課題になっていました。実際、「大地の芸術祭」がなかったならば、私も“妻有”という呼び名を全く知りませんでしたし、もしかすると一生その場所に足を踏み入れなかったかもしれません。
 2000年に第一回が開催された「大地の芸術祭」は、そもそもは新潟県という自治体の地域振興事業の一環として立ち上げられたものですが、そのユニークさは地域の活性化を企業の誘致や地場産業の育成とかいう経済行為ではなく、まずそこがどんなに素晴らしい場所であるかを人びとに知ってもらう、好きになってもらう、そのためにアートを用いたこと、そのために芸術家と住民の人びとが協力しあって、越後妻有の自然・文化の特質、豊かさ、埋もれている価値を輝かせようとしたことだと思います。
 
 昨年夏に行われた第3回では、テレビ新聞をはじめ主要メディアでさかにとりあげられられ、期間中数十万人の観客動員があったと言いますから、私の説明などより深くご存じの方も多いかと思いますが、それにしてもなぜそんなに、このアートイベントは人をひきつけたのでしょう。それはたぶん“越後妻有アートトリエンナーレ”を観るという行為がひとつの「旅」だからなのだと思います。この地方特有のじりじりと焼かれるような真夏の暑さのもと、燃えるような緑の山々や、信濃川の広大な河岸段丘、人々の生活する街や集落の中に点在する300を超える作品群を訪ねて歩こうとするならば、それはもう「展覧会を観る」と言う次元ではなくなってきます。もちろん、ジェームズ・タレル、ボルタンスキー、アブラモビッチをはじめとする世界的な作家の完成度の高い作品を鑑賞できるということも、大きな魅力ではありましたが、何よりもイベントが行われる場所の空間的な広がり、6市町村(合併前)にまたがるというスケールの大きさが、見知らぬ土地に対する観客のの想像力をかき立てたということもあるでしょう。関東で生まれ育った自分には、越後妻有という土地は異国のように思えました。パラソルを閉じたように尖った針葉樹とむくむくと膨らむ広葉樹の混ざりあった森に彩られ、どれほどの年月を経たのか岩石の摂理のように山肌に刻み込まれた棚田。山あいの小さな集落の、豪雪に堪えてきた木造民家の堂々たる姿。それだけでも十分に感動的なこの美しい土地のそこかしこに登場する様々な美術作品は、さながら童話の国を案内する妖精のような役割を見事に演じていました。誘われた自分もいつのまにか物語の中の旅人となるのですが、物語の主人公は、あくまでも越後妻有という土地、文化、人々なのです。
 
 近代の芸術は作家という個人の精神の自由こそが優れた表現を生みだすという信念のもとにどんどん進んでいきましたが、ここ「越後妻有」には個人の創作を際立たせることを目的とする「展覧会」というものとは全く異なる芸術のベクトルがありました。この芸術祭を構想段階から主導し、成功させたアートディレクター北川フラム氏は、昨年のギャラリイKでのレクチャーにおいてこう述べています。「越後妻有」において作家はまず「自分の作品を他人の土地に置く」ことの意味を考え抜き、またその困難を克服しなければならないと。実際作家諸氏は自分の「作品」を、なぜその場所に置くのかを地元の人びとに理解してもらえるまで長い時間をかけてコミュニケーションをとり、実際の制作も人びとのとの協働によって行う、つまり作品というものの価値を共有することによってしか成立しないような芸術行為を行ったといいます。確かに農地であれ、里山であれ、民家であれ、商店であれ、そこは誰かの土地、誰かの生活の場所ですから、他人である芸術家が何かをそこですることが歓迎されるということはむしろ希で、何らかの軋轢を生むのが自然でしょう。芸術の名のもとに自分たちの大切な生活の場をただ利用されるというのでは反発して当然です。一方、作家の側も、自分の表現活動がただ地域振興の観光イベントの道具だとしたら本意ではないでしょう。人びとが自分の生活の中でその価値を享受でき、芸術作品としても輝いて観る者に感動を与える、それはとても難しいハードルだと思います。実際、大地の芸術祭で展示された数百の作品の中には、いつまでも心に残るであろうすばらしい作品もあれば、残念ながら失敗と思える作品も数多くあります。けれども玉石混淆それもまたよし、と思えるところも「旅」のよさなのです。
 そのような結果として何が起きるか・・・ 私のことを言えば、その場所をとても好きになりました。「越後妻有」という場所が私に多くのものを与え、多くのことを考えさてくれたのです。とりわけ自然と人間を結ぶ農耕という行為の価値について理屈ではなく、実感できたと思います。

 しかし問題は、そのような大切なものが今まさに壊滅の瀬戸際まで追い詰められているという事実にあります。美しい棚田もあとを継ぐ人がいなければ、すぐに死んでしまいます。私が好きになった越後妻有の風景が、奇蹟的に間に合った最後の輝きだったなどというのでは悲しすぎます。北川フラムさんは今やいちアートディレクターであるに留まらず、都会にすむ私たちに棚田のオーナーになることを呼びかけたり、現地に子供たちを招いてサマースクールを開校するなど、危機に瀕する越後妻有の文化を生き返らせるための市民的な運動をプロデュースすることに力を注いでおられ、「大地の芸術祭」に関連する様々な活動は毎年行われています。

 ところで、前回お話した千葉県長生郡にある「あしたの国 = ルドルフシュタイナー・モルゲンランド」と、この「大地の芸術祭 = 越後妻有アートトリエンナーレ」は、とくに関係はありません。関係ないのですが、私は“越後妻有”をもうひとつの“あしたの国”と呼んでみたいのです。この芸術祭が過去3回が行われたあいだには、冒頭で申し上げたように様々な甚大な災害が新潟を襲いました。普通に考えれば災害の復旧が最優先でしょうから、しばらくは芸術どころではない、となりそうですが、今では地元の方々もこのアート・イベントに寄せる期待が大きく、次回2009年も開催が決定しているそうです。私もまた必ずその場所を訪れるつもりです。

 「大地の芸術祭」:ご存じでない方は、以下のサイトをどうぞ。
 http://www.echigo-tsumari.jp/


P.S.
ギャラリイKが移転しました。

この2日に、新しい空間にてオープンしました。
ぜひ、観にいらしてください!


オープニング展覧会の「横谷研二展」
















21日まで開催中の「小渕 裕展」

















新住所:〒104-0031東京都中央区京橋3-9-7京橋ポイントビル4F
Tel/Fax.03-3563-4578 galleryk@nifty.com
http://homepage3.nifty.com/galleryk
 




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