2007年8月26日
世の中で『コンテンツ』という言葉はどのくらい一般的なのだろうか?
いつの間にかTVは番組と呼ばれずにコンテンツと呼ばれるようになって来ている。
昔は『番組』という言い方しか存在しなかったが
そこに『ソフト』という言い方が出て来て
さらに『コンテンツ』という言い方がココ数年出て来た感じだ。

コンテンツが指す範囲とは『TV番組』はその一部で、かなり広いものを指している。
音楽一曲はもちろんコンテンツだし、一般の人がブログに書かれた文章もコンテンツである。
その横に書かれたいたずら書きのキャラクターもコンテンツであり…
と振り返ってみると〈どういうニュアンスでこの言葉が使われ始めて行ったか〉は『コンテンツ』という言い方が『ビジネスをする!』という潜在的な意欲が強く含まれている言葉である事が見えてくる。

(大体新しい言葉が生まれる時には“その言葉が生まれた方が都合が良いこと”があるからなのだ)

”人によって生み出された表現”はビジネスになるんだ!という事が強く意識された時に『コンテンツ』という言葉は生まれ、広がって来た、と考える事が出来る。
TV番組も”一回放送してハイ終わり”の時代はその名前を変える必要はなかったのだろうが、DVDなどで大きなビジネスになる事がはっきりしたところで『コンテンツ』なんだというようにもうひとつ名前がつくようになってきたのだ。

しかし…
考えを巡らして行くと…
そんな”人によって生み出された表現”の中で厳然と〈コンテンツと呼びにくいもの〉がある事に気がつく。
例えば”絵”“彫刻”
純粋芸術、ファインアートと呼ぶべきものは…どうも『コンテンツ』と言い換えにくい。

なぜか?更に考えを巡らす…
純粋芸術、アートが“ビジネス”とのクロスポイントを見つけていないからではないのか?

(しかし日本とは遥か概念としてもかけ離れたNYでは、それはさすがビジネス先進国のアメリカの中での特殊な街であるだけあって、その“アート”と“ビジネス”はしっかりとそのクロスポイントが形成されているようである。そのことで村上隆さんらは“逆輸入”という戦略を取る事になるのだが…
しかしこのクロスポイントの在り方が正しい事かどうか、さらに正しい正しくないという評価の仕方をすべきかどうかなどは実は答えが出ていないのではないか?とも思っている部分もあるのだが)

そうやって考えて行くと”アート”と“ビジネス”が実は本質的なところで〈対立する概念なのではないか?〉という考えが生まれてくる。

アートとは何か?それは人間の根源に根ざす”生まれざるを得ない作品”と考えるとそれは…我々が“愛”と呼ぶものに非常に近いものだという事が明らかになる。
ビジネスとは何か?それはひと言で言い換える“数字”である。

アートとは何か?”色んな人が生み出したもの”でありその共通項は〈生み出されざるを得なかったもの〉が強くあるもの、それを”芸術性”と呼ぶのではないか?
その作品は生み出されたあとに、世界からどんな評価が得られるかを考える事なく、発生したもの、である。
その一方で”どんな過程においての結果でも、人が生み出したもの”を扱う〈コンテンツビジネス〉という言葉はこの世界に厳然と存在をしている。
さて…

「人間は生きる為には食わなくてはならない」
この言葉を軽々と否定してみせたのが〈明日の神話〉を描いた純粋芸術家 岡本太郎 であった。
「芸術家は食わなくても生きて行ける」この世間的にはナンセンスな岡本太郎の言葉に“芸術”とビジネス、〈愛〉と〈数字〉の突破口が隠されているに違いない。

しかし”惰”にして”凡”なる僕はこの〈愛〉と〈数字〉というふたつの言葉の間でいつまでもウロウロとしている。

〈コンテンツを更にクリエイションと言い換えたら、何かが見えないだろうか?〉

※ちなみに和訳をするとコンテンツは「内容物、中身」と、なるほど感情の入る隙間もないものである事がわかる。そしてクリエイションは「創造、創作」である…”言い換え”どころか遥か距離のある概念である事が明らかになった。

ふたたび道に迷い、ひとつひとつのアートに出会った時のココロの有り様に耳を必死に傾け…その快感の中から次の一歩を踏み出さんとするのである。






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