2007年10月19日
アーティストとクリエーター

この違いは何なのだろう?と(多分)結構前から気になっていたのです。
で、一昨日「あ、そうか!」と声が出てしまったのです。
その事を考えていたというのではないけれど
突然「あ、そうか!」と思ったのですね。

クリエーターは受注があって作る人で
アーティストは受注なくても作る人
なんだなあ、と。

『何でもいいから好きなもん作っていいよ!』と言われると
クリエーターは実は作れないんですよ。
結構勘違いして『作れる』『作りたい』と思っていたりするんだけれど
実はそれで作っても,ろくなもんはできない。
『こうこう、こういうもんでそれを“何とか”してくんない?』
って言われると、『じゃあこういうのは?』『あ,こういうのは?』って次から次へとアイデアって出てくるんですよ。
これがクリエーター。
アーティストは『生み出さざるを得ないものを生み出す』って人ですから、条件とか設定とか「それ何?」ってなもんです。
〆切とか言われても関係ないです。
アーティストの仕事って言うのは時が来たら出来て、そうでなければ出来ないもんですから…そうなんです。
本質的な切り分けとしてという事なんですが
そう言う事なんだと思います。

で,自分の事を考えると
自分は勿論アーティストの部分は微塵もなくて
クリエーターな訳です。
だから『発注』がないと、何もしない。
何も出来ない。何も生まれてこない。
せいぜいやるのはアイドリング(暖気運転)ぐらい。
で、僕の知っているところだと
テリー伊藤、欽ちゃん,松本人志
クリエータ-と考えた方がいいのではないか?
松本人志が『大日本人』を作る過程で
『5年かかったという事は途中で制作中止になるならそれはそれでいいか?と思っていた』と言うのがありますね。
まあ純粋に発注があったと言う形ではないけれど
『時がそちらに流れるのであれば』と言う形で
引き寄せていったと言うのがあると思いますね。

宮崎駿という人はどうかと言うと
直接知っている訳ではないのですが
基本はクリエーターだと自分を位置づけているのではないか?と思います。
ジブリ映画になると公開の日を決めないといけませんから、つまり”〆切がある”というところで、クリエーターにならざるを得ないはずなんです。
また鈴木プロデューサー曰く「宮さんは“自分が作りたいもの”を作った事は一度もなく”みんなが見たいものと思っているだろうもの”を作っていると言っている」のだそうだろうから、ご本人はアーティストである,という意識はないんじゃないだろうか?
ところが見るコチラとしてはアートを感じるところがあるのはなぜか?
一部では有名ですが宮崎作品というのは最後を決めずに描き始めるのだそうです。
実はそのやり方で”アート”の部分が出てくるのではないか?
と勝手に推測しているのですが…

北野武監督は日本の映画監督の中でものすごい珍しい”アート”の人だと思います。
日本の映画監督は基本的にみんな興行成績を気にします。
これはクリエーターです。
でも北野武監督だけはそこから自由です。

走り書きではありますし、まだまだ未完成な原稿ですが
メモということで…
(この辺は村上隆さんの『芸術起業論』と対立しているようで、実は同じだと思っていたりするんですが…)
思いつきなアーティストとクリエーターの一席…



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