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2008年2月12日
クリエイティブには値段がある。クリエイティブとはいくらなのか? 僕はこのことが昔から大変に”苦手”である。 プロデューサーとは色んなクリエイティブの値段を決める人だとも言える。 タレントさんのギャラや、音楽を作ってくれた人のギャラや ディレクターのギャラや、放送作家のギャラや 使う写真の値段やら… これらのことを僕は”Tプロデューサー”などと名乗りながら 実は一切やってこなかった。 だから本当の意味でプロデューサーではないのだ。 …人のクリエイティブに値段を付けることが出来ないのだ… 本当にクリエイティブに値段があるのか?と言うと それはあると言わざるを得ない。 クリエイティブから生まれたもの、テレビ番組だったり 映画だったり、小説だったり、音楽だったり… それがお金を生むのだから、やっぱり値段はついてくる。 で、そこの中間に入る人が沢山いて つまり〈”0から1”を生み出す人間〉と それを〈ユーザーとして受け取る人間〉 の間に、けっこう沢山の人がいる。 で,この人たちはやっぱりコンテンツビジネスという 経済活動をしている訳だから 『一円でも安く仕入れて,一円でも高く売ろうとする』 のは当然である。 経済活動とはそう言う行動を指すものである…多分。 コンテンツとして多くの売り上げを期待できるクリエイティブには 高い値段が付く。 (だから安いうちに仕入れておいたクリエイティブが、高く売れるのが中間の人には一番おいしい、利益が上がるということになる。高く仕入れたものが予想を下回る売り上げだとおいしくない、損となるのである) そんなことで、クリエイティブにはやっぱり値段がつく。 僕はクリエーターだと言い張っている一時期があって 今はかなり怪しいので…(今はまたクリエーターを目指す人が正確か) しかしサラリーマンなので、そこ〈クリエイティブの値段〉は”お給料”と言う形でもらって来た。 だから給料の査定、とかはあるが、出来高から割り出されたものではない。 (自分のクリエイティブによっていくらの利益が生み出されたか?ということは考えなくて良いし、利益が出た年も利益がでない年もそれはほぼ一緒である。言ってみればローリスクローリターン型のクリエイティブの報酬体系と言える) さて昨今… この“クリエイティブ”が昔は限られた世界からのみ生まれて来る形だったのが インターネット上のCGM(消費者生成メディア)なるものが出て来て その事情が少しずつだが変容し始めている。 例えばブログであるが そのクリエイティブが報酬という見返りを求めない形を基本に世の中に出て行く事が増えて来ている。 これらネット上のCGMをクリエイティブと呼ぶかどうかということも、まだ評価が定まっていないのだが、〈読む人〉〈見る人〉を送り手が意識すればするほど、それは“クリエイティブ”というものになっていくのではないか?と思っている。(だから〈読む人〉〈見る人〉をまったく、ほとんど意識しないブログなどがあるとしたら、基本的にそれは“クリエイティブ”ということから遠いもの、と規定されるだろう) クリエイティブはお金を払う払わないはともかく「お客さん」という受け手を意識した時に生まれてくる事だと、規定する。 ブログなども中には本になったりするものもあって、そうすると具体的に”本の印税”などというお金が発生する例も沢山出て来ているから、そうなるとよりクリエイティブと言う側面がハッキリ現れる。 さてネット社会のCGMという仕組みの中で、こういった新しいクリエイティブに対して”値段”がキチンと付けられる仕組みになっているかと言うと(それこそインターネットの上では経済人の出番がクリエーターより構造的に先であったりするから)正当なるシステムが構築されるているか?そうでもない感じがしている。 さて… そんな新旧取り混ぜた混然としたシステムの中で クリエイティブはいくらなのか? 世の中のクリエイティブの仕組みが 今のように全く変わっていくとき クリエーターと経済人の間に立つプロデューサー 彼が切り開く道は険しく しかし時代の中でクリエイティブが生き永らえるのかどうかを決める 重要なものであるのだ。 最初に書いた プロデューサーとはクリエイティブのお金を決める人です。 このことが今ほど重要な時代はないような気がしている。 ちなみに〈”アート”とは生まざるを得ないもの〉であるから それは値段はない!を基本にしなければならないと思っている。 でもアート活動にお金が登場しているではないか? と言われるかも知れないが それはアートのクリエイティブ側面(生み出された結果としての作品の)によって登場しているのであって、それを一緒に考えない方が良いと思っている。 |
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