吉永マサユキ 吉永マサユキ

1964年、大阪十三生まれ。水商売、テキ屋、運送業などの職を経て、児童福祉士を目指すが写真家になる。暴走族の若者を撮った写真集『族』(リトルモア)は代表的な作品のひとつ。他にもチーマー、コギャル、在日外国人と、日本に住むマイノリティを撮り続けてきた。近年は、新宿南口で工事現場仮囲いの壁に新宿で生きる人々のポートレイトを展示するプロジェクト「新宿ID」に参加。ルーニー・247フォトグラフィーが主宰する写真のワークショップ「resist」では、塾長を務める。著作に『申し訳ございません』(新潮社)、『ニッポンタカイネ』(メディアファクトリー)、『Gothic and Lolita』(英PHAIDON)、十三での半生をつづった半自伝『へたれ』(リトルモア)などがある。

Masayuki Yoshinaga

Born in Osaka’s Jusoh district in 1964. After working in the night entertainment industry, as a street-stall keeper and as a truck driver,
Yoshinaga strives to become a photographer who specializes in youth welfare.
“Zoku” (by Little More Publishing), a photography collection of Boh-soh-zoku (youth bike-gang), becomes one of Yoshinaga’s representative work.
He has also photographed youth street-gangs, street gals, and foreigners living in Japan, individuals who are often labeled as “minorities” within Japan.
In the recent years, Yoshinaga has participated in the "Shinjuku ID" project which exhibited portraits of everyday Shinjuku people on the temporary wall
of a construction site located at the south entrance of the Shinjuku train station. He also serves as the headmaster of a photography workshop school called "Resist,"
presided by Roony/247 Photography. Photo book projects includes “Moh-Shiwake-Gozai-Masen (Apologies)” by Shincho Publishing,
“Nippon Takaine” by Media Factory, “Gothic and Lolita” by Phaidon Publishing, semi-autobiography about his life in Jusoh District called “Hetare”by Little More Publishing, among others.


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NY日記(1ー5/13)
5/23/2008 05:23:00 午前
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NYから無事に飛行機が落ちず帰ってまいりました。
ホッとしました。

13日18時NY到着
到着して入国審査で並んでいると、2~3人前の日本人らしき人達が業界人のようななんだか派手な格好をしてやがるのが少し気になり、よく見ているとそこにはなんと米ちゃんがいてるではないか、米ちゃんと呼んでみると、やっぱりそうで、互いに何故NYに来たかを話してんけど、米ちゃんが来た理由を忘れてしまった。
しかし16日にはLAへ行くということだけは、なぜか憶えている。

審査を終え、荷物を取り、税関申請のところで、写真を入れた長いケース2ケが引っかかる。
展示の話しをすると、これは何だ?これで商売をするのか?アメリカで仕事か?と言われたが、仕事であって仕事でなく、仕事のビザなんて取得するのん面倒くさいし、金を稼ぎに行ってるわけではないので、あれやこれやと言ってても埒が明かんので、ICPの招待状を見せ、自分の名のところを指差す。
ICPが有名やったんかな?すぐに開放された。

外に出て荷物が多いのでシャトルバスを頼んだ。
シャトルバスの受付の姉ちゃんが、俺を中国人と決めつけ、全く目を合わそうとせず、ズーッとうつむき加減で震えながら対応される。英語が出来んので、住所を紙に書いたものを渡す。なんか気分の悪い姉ちゃんやなあと思っていたら、その感は的中した。シャトルバスの一番最初に下ろされた人とは自分の宿の住所が4ブロックしか違わないのに、なんだか逆方向に走っていく。てっきり東西に分けて降りていくんだろうなあと思っていたら、途中でそうでもなく、北へ向いて走り出した。自分が荷物が多く、奥のほうに入れたから最後にするつもりなんかなあと思っていたら、違ってた。ドライバーに告げられていた住所は真反対のところであった。ドライバーに着いたぞと促されたところは、100丁目ぐらいのところで、違う自分の住所は16丁目だと紙を渡すと、お前は何やってんだ一番最初に行った20丁目から直ぐじゃないか、なんでその時に言わないんだと言われても、そういう運びかたをするのかと思ったと話をしていても埒が明かず、ドライバーに俺の仕事はここで終わりだからここから降りて電車で行けと言われた。が、ふざけんな!と切れてみたら、じゃあエクストラで10ドルくれるか?というので、チップ込みだぞ!と言って送ってもらった。こんな歩けないほどの荷物を抱えておろされたんじゃあたまったもんじゃない、チップ込みで21ドルで19時過ぎに着いてたのが、30ドルで21時過ぎに到着した。あの受付女がきっと白人至上主義女で、黄色人種の俺を差別しやがったんやあと、あの時の震えながら絶対目を合わさんかった姉ちゃんを思い出した。初めてアメリカって今でも人種差別があんねんやあと改めて知った日やった。

ほんまやったら、LAで知り合った人のとこへ飯に行きたかったが、それでのうても疲れてんのに、ほとほと疲れてしまい、宿から歩いて行ける距離にある、自分の写真を扱ってくれてる若狭さんと会って、近くの中華へ行って、ほんで帰ってから荷物も空けぬまま就寝!!!





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