中山ダイスケ / Daisuke Nakayama 中山ダイスケ / Daisuke Nakayama

68年生まれ。武蔵野美術大学中退後、武器をモチーフにした過激なインスタレーション、手法にとらわれない斬新な表現力が国内外からの注目を集める。97年より6年間ロックフェラー財団などからの奨学金を得てNYに滞在、NYを中心にヨーロッパ等での展覧会が話題となり、98年台北(台湾)、00年光州(韓国)、リヨン(フランス)ビエンナーレ日本代表作家に選出される。Claudia Hillのニューヨーク・コレクション等ファッションショーの演出監督、舞台美術デザイン、店舗のアートディレクション、コンセプト考案など、近年は様々なジャンルとのコラボレーションも手掛ける。02年より東京で活動。東北芸術工科大学情報デザイン学科教授。ダイコン(dnSTUDIO)代表。

Born in 1968. After leaving Musashino Art University before graduating, Daisuke Nakayama utilized images of weapons as a motif to express extremeness in his installation works. Never tied down to a particular technique, his innovative expressions attracted attentions from both inside and outside of Japan. After winning the Rockefeller Foundation scholarship, he moved to New York in 1997 and resided there for six years. During his overseas stay, his exhibits in Europe again attracted wide attention, which led to his Taipei Biennial (Taiwan) exhibit in 1998, Kwangju Biennale (South Korea) exhibit in 2000, and ultimately became the Japanese Representative Artist for the Lyon Biennale (France) exhibit also in 2000. Re-establishing himself in Tokyo from 2002, his recent activities includes art direction for New York Collection fashion brands such as Claudia Hill, theatrical stage art design, store interior art direction, concept creations, etc., transcending genres through his collaborative works. Currently a Professor at Tohoku University of Art and Design, Daisuke Nakayama is also the Representative Director for dn STUDIO Co., Ltd.

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サッカーが好きなわけ
2009/7/12 日曜日 18:50:26

小学校5年生の時にスポーツ少年団的な集まりで、他校とのサッカーの試合に出ました。身体は小さかったけれど俊敏だった僕は、とにかくボールを追いかけ回し、なんとか一つだけボールを押し込む事に成功。学校代表の運動神経のいい主役級の大きな同級生達に囲まれながら、その中でねじ込んだ一点は、僕にとっては生涯初ヒットと同じぐらいに嬉しい記憶です。子供ながらにすごいなあと思っていた先輩(といっても6年生のお子様ですが)に頭をなぜられたのもはっきり覚えています。

野球王国四国で育った僕はその後サッカーに直接触れる機会もなく、お正月の天皇杯を見る程度に過ごしていたのですが、中学2年の時に一人の転校生が現れます。
小野君というなぜだか有名進学校から流れ着いた少年と僕はとても仲良くなり、2人は僕らだけの楽しみを見つけたかのように、深夜に放送されていたワールドカップのスペイン大会を熱心に観戦し、パオロ・ロッシやルンメニゲ、ジーコやソクラテスの世界サッカーに夢中になったのです。小野君はとてもサッカーに詳しく、いろんな選手のことを教えてくれました。当時僕らの中学にはサッカー部はなく、テレビでも大切な試合しか放送されなかったので、中学生の脳内における、完全に空想世界でのワールドカップでした。その熱でサッカー雑誌などを買い始めたり、キャプテン翼を読みあさったり、卓球部の部室でピンポン球サッカーをやって先輩に蹴られたり、四国の小さなサッカーファンはこうして誕生しました。

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中学時代のヒーロー カールハインツ・ルンメニゲ

その後高校でサッカー部を見学に行くも、女の子や放課後の仲間とのブラブラや、音楽や映画に熱中しだした僕は、運動部で3年間を終える高校生活を選択しませんでした。大学で最初の1ヶ月だけサッカー部に入ってみるも、なかなか馴染めずに自然退部します。
なかなかきちんとしたサッカーのプレー体験を持たぬまま大人になり、仕事柄世界各国に出向くようになると、各地でむりやり現地リーグを観戦することが習慣となりました。そうして様々な国の現地の熱気と情熱に触れながら、僕のサッカー熱はちゃんと身体の奥底に定着します。
いまでこそ、草サッカーやフットサルを楽しんでいますが、僕のサッカー好きは「観戦」ベース。スタジアムはもちろん、仕事中でも、たとえ音を消した緑色の画面に人とボールが飛び交う映像だけでも十分なリラックス材料です。
学生時代にサッカーをちゃんとやっていないので、コアなサッカーマニアとは一線を画しているとは思いますが、観戦すればするほどサッカーは深くなってゆくばかり。

なんだろう、あの相手側に押し込む感じが、悪く言えば「男性的」な本能をかき立てられるという感じでしょうか。もちろんフェアなスポーツなのですが、あのゲームデザインそのものに、サッカーならではの魅力が隠れていると感じます。アウエーになると2重の意味でブチ込みたく(失礼)なってしまいますから。そのかわり負けたときの惨めさというのは点数では表しきれませんけど。

野球も好きなのですが、自分ちに帰ってきたらおめでとう!という感じとは違った達成感です。アメリカ時代にホームランが7〜8本飛び交うすごい試合を見た事があるのですが、あの放り込み合う感じだったらちょっと似ているかもしれません。

海外や日本でも、時々試合後に暴れる事件が起きますが、サッカーが自分の陣地に持って帰るというルールなら、あれぼど凶暴な感情は生まれないのではないかと思います。

ところで、広島、ガンバ、FC東京、山形と、関わる場所によってJの贔屓チームが変わる中、ドーハより前から応援しているのが「全日本」。今の呼び方の「日本代表」です。応援してきた時代を含めて全身で応援するために、増えすぎた代表関連Tシャツをパッチワークしてまとめて着ています。妻をそそのかし、ミシンでガーッと作ってもらった宝物です。でも一番かっこいいデザインというか、もっと古いものが混ざった「全日本」的な傑作は、お友達にプレゼントしました。

今回の南アフリカで目指すという「4強」。いろいろ言われているけれど、四の五の言わず信じてみます。

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